関市では、あちらこちらに一刀彫りの仏像を見かける。仏師であり俳人であり僧侶だった円空の作は全国にあるけれども、この関の街中には、いたるところに円空風の一刀彫りがある。生まれは岐阜羽島のあたりだと言われているが、晩年は関の弥勒寺で過ごしたと言われているそうで、ここには円空が即身仏となった「円空入定塚」があり、石碑と円空顕彰碑が安置されている。即身仏となる人の心境や覚悟には想像を絶するものがあるが、この北側にある弥勒寺の敷地には藤が生い茂っていて、「この藤が咲いている間は私がまだ生きていると思っていてほしい」と言い残して入定したという。よく即身仏と即身成仏と勘違いするけれど、即身成仏は生きながらに悟りを開いて仏の境地になることで、意味が違うらしい。
一刀彫りからの連想ではないけれども、この関市は刃物の街として有名で、毎年10月には「刃物まつり」が開催され、全国から刃物を求めて人々が押し寄せる。最近話題になっているアジアからの爆買い観光客も、関で作られる爪切りがお気に入りだそうだ。関は「東洋のゾーリンゲン」とも呼ばれるらしく、刃物造りが昔から盛んで、室町時代から刀工の関の孫六(孫六兼元)が有名で、街全体がその流れを汲んでいるのだろうか。今は本社が東京都千代田区にある「貝印」も創業はこの地だった。
今年の春にリニューアルされた「フェザーミュージアム」は、この地での刃物の歴史や、製造法、様々な刃物の種類や用途、ちょっとしたアトラクションなど、なかなかに楽しく興味深い。
「フェザー」の製品販売なども行なっている。実は今回は二度目の訪問で、オープンのタイミングでちょうどこの地にいたので、すでに見学済みだった。春に書いた私のサインを受付カウンターの後ろに飾ってくれていたのが面映ゆいやら申し訳ないやらだ。
18世紀中頃に建立された宗休寺は通称「関善光寺」と呼ばれ、信州の善光寺との所縁が深く、そう呼ばれるようになったそうだ。実は今年、いつもよりさらに観光客が多く押し寄せることになった。もちろん素晴らしい名刹ではあるのだけれど、ここの大日堂に鎮座する「宝冠大日如来坐像」が、ラグビーの五郎丸選手のルーティンの際のポーズと同じ形で印を結んでいると参拝者から指摘され、佐藤住職がフェイスブックに掲載するとあっという間に話題となって、「モネの池」とともに相乗効果で関への観光客が増えたと言われている。
この関善光寺には日本で唯一という卍戒壇巡りがある。真っ暗闇の中、綱を頼りにジグザグに通路を進んで、仏様の下まで行って錠前を触り、お参りをするというもので、なぜか奥に進むにつれ無意識のうちに腰を屈めて辛い体勢をとってしまうのだが、これは本能なのだろうか。
境内から少し高みに上ったところに鐘楼があり、そこでは鐘を自由に突かせてもらえるのだが、その鐘の中心部に頭を突っ込むと、どんなに強く突いても音が中和されて、周りからは想像できないほど静かなのだ。これは本能ではない。物理学だ。
さて、私が関に来たかった一番の目的地、「そば切り助六」に到着。ここの蕎麦は素晴らしい、と一言で言えば、そんな店は全国にあるだろう。ここは私にとってその中でも特別な存在で、普通「手打ちそば」と看板を掲げていても、そば粉をどこかから仕入れて打つだけ、という店がほとんどではないか。「自家製粉」と銘打っていても、蕎麦の実のここまでの吟味や掃除、選別、石引の塩梅まで全てに細かな工夫と扱いを施しているところを寡聞にして知らない。ご主人の自宅の敷地にある作業所を見学させていただいた。この部屋は、蕎麦の実を劣化させないために年間通して18度に保たれている。
蕎麦の実を綺麗にするためのブラシがついた筒が回転してゴミや埃を取る「研ぎ」という作業。これで驚くほど埃や塵が溜まる。これをやらずに一緒くたに打って出している店も少なくないそうだ。それではゴミを食べさせられているようなものだという。続いて、石抜きの作業。蕎麦の実と同じ大きさの石が省かれずに石臼で挽かれてしまうこともあるそうだ。これは振動と比重を利用した機械で取り除く。そして大きさを、ほかではそこまでしないという12段階に仕分けして、やっと殻を剥くところに入る。その後の石臼挽きも、熱がかからないように細心の注意をもって行ない、初めてこね、のし、切り、茹で、という流れになる。
もちろん、出汁、かえしなどの工夫や丁寧な仕事も両輪であっての蕎麦芸術だ。それでいて、客には作法を多く求めず、好きに食べさせてくれるプロフェッショナルの矜持が頼もしい。
この「助六」のご主人小林さんは、「せきまちなか寄席」を主催、企画運営されている。前述の関善光寺や近隣のお寺の持ち回りで、桂吉坊さん、桂りょうばさんと「あの三人の会」という落語会をこれまでに数回開いてもらっている。毎回大入り満員で、至れり尽くせりで申し訳ないのだけれど、一番の楽しみはやはり「助六」で美味い蕎麦が手繰れることだ。季節の良さを存分に楽しめるここでの蕎麦宴は、一度味わうとやめられない。やめようと思ったこともないが。