アマゾン川のピラニアのように大挙しておそってくる電子メールを撃退しているうち、今日も暮れてしまって、残るのはため息だけ。なんてひどい毎日だろう。学生時代、四畳半の下宿に寝転がって、乾いた食パンをかじりながら、文庫本のドストエフスキーやヘッセを読んでいたときのほうが、ずっとよかった。
今の若者の多くはLINEやユーチューブは見るが、文学は読まない。そのうちに二次元のゲームキャラに合体してしまわないか、本気で心配になる。
ドストエフスキーでなくてよい。うんと短い小説でも、エッセイでも、詩歌や俳句でも、文学は文学だ。どうぞ手にとって、読んでください。
<1>『20世紀アメリカ短篇選』(下)(大津栄一郎編訳、岩波文庫・1,015円)所収のカーソン・マッカラーズ「木・岩・雲」。新聞配達の少年が朝のカフェで出会った酔っぱらいのような老人。別れた妻を追い求めてさまよううち、彼はついに愛の真実を知ったという。この人物は単なる酔いどれか、それとも人生の意味を知る哲人なのか。それは読者が判定すること。彼以上の人生を送っていると思ったあなたは、たぶん大きな勘違いをしている。<2>アンデルセン『絵のない絵本』(山室静訳・いわさきちひろ画、童心社フォア文庫・648円)。
屋根裏の画家に月が語りかける三十三の物語。中でも、第三夜の薔薇(ばら)の少女、第十九夜の才無き役者の話が、私は好きだ。ふたりとも、これ以上ないひどい運命が待ち構えていて、みじめな死にかたをする。白く照り映える月光は、彼女と彼を、静かに、やさしく、冷静に、しっかりと照らし出す。
<3>『寺田寅彦随筆集』第一巻(小宮豊隆編、岩波文庫・756円)所収の「どんぐり」。寺田寅彦はたくさんの随筆を残したが、中でも有名なのがこの一篇。肺病の妻を連れて植物園に行く著者。妻は妊娠している。彼の前で無心にどんぐりを拾う妻。彼女は子供を産んで、ほどなく死んでしまう。この随筆は、忘れ形見の子供を見守る最終段がなんといってもすばらしく、とりわけラスト・センテンスは名文と思う。
今回とりあげた三篇は、どれもとても短い。むずかしい言葉もなければ、前提となる知識もいらない。SNSよりも手軽で、ゲームよりもアタマを使わなくてすむ。仕事や家事の合間の短い時間で読める。そして、通りすがりの路傍の花のように、低い姿勢でたいせつなことを語りかけてくれるのだ。成功者はどこにもいない。登場するのは皆、悲しみにうちひしがれた人々だ。