• 2016年
    (平成28年)
    07月13日
    (水曜日)

    今回はいつになく真剣に(!?)編集長が名古屋の街を考察するところからスタート!

    これがなくちゃ、深聞は始まらない! って訳で今回も編集長のジェスチャーからスタートです。両手で表わしているものは……って、肝心の鯱が写ってない(すみません!)。
    名古屋市が、全国の主要8都市に住む人を対象に、現状の把握と今後のため、都市の魅力やイメージに関する調査を行ったそうだ。その結果、「遊びや買い物で訪問したい都市」という設問では目も当てられぬほどの最下位、「最も魅力に欠ける都市は」ではぶっちぎりの一位となってしまった。
     私は幸い訪れる機会が多いので名古屋の魅力はわかっているつもりでいたが、この調査結果には愕然とする。名古屋とその周辺の魅力は、「日々の暮らしを大切にする」ところだと思っている。何を言うか、他の都市も同じじゃないか、とおっしゃる向きもあるやもしれないが、日常の積み重ねを重んじるからこその地味な風合いがあるのだと思う。
     いわゆる「ハレ」と「ケ」の減り張りを重視するからこそ、「けち」の悪口も出るし、冠婚葬祭の派手さも名物になる。これは、日常を大切にするからこその、晴れの日の消費、放出が際立つのであって、そこに観光という「非日常」的魅力を数字の面で両立させるのは、なかなかに至難の技ではないだろうか。だからこそ、何度も行くと好きになる街、日常的な魅力を他の地域の人々にわかってもらう活動を、それこそ日常的、継続的にしなければいけないのではないか。
    名古屋城 正門前の木漏れ日が、なんとも清々しい一枚です。というのはやせ我慢で、名古屋独特の熱気に、やられてしまった編集長の図なのでした。 という訳で、城内の売店でさっそく涼タイム。宇治金時氷をほおばりながら、名古屋城ロケの気力を充電します。
     東京では親しみを持っていう悪口の代表が「ばか」であるのに対し、大阪では「あほ」が一般的だが、名古屋では古くから「たわけ」という人が多かった。今の名古屋の若い人たちは使うのだろうか。もちろんご存知の通り、相続の際に「田を分ける」ような愚かしいことから来ている。東京の「ばか」は仏教の無知を意味する「莫迦」からで、元はサンスクリット語だが、江戸では「馬を鹿と間違えるから馬鹿だ」という俗説が、武士の文化と馴染んだのではないか。上方は公家分化が浸透していたので、「あほ」の由来と言われる始皇帝の阿房宮の故事が馴染んだのでは……。というのは私の素人考えだが、この「たわけ」という名古屋弁がその名古屋のもつ農耕文化の現れであり、日常の積み重ねを重視する風土との親和性を想像するのだ。 かき氷を食べ終わった編集長は、うれしそうに「戦国乱世武神修羅の紋」が描かれた、オリジナルTシャツを土産に購入。って、なんでそんなに苦しそう!? あ、戦国乱世だからなのね……。 立派な石垣を見て、思わず登ろうとする編集長。こんな人がいるから、柵が設置されているんですね、ハイ。決してマネをしないでね。
  • 2016年
    (平成28年)
    07月13日
    (水曜日)

    どえらい真面目な考察がまだまだ続く中…… 復元工事中の本丸御殿を見学します!
     前置きが長くなってしまったが、今回はその名古屋の魅力を代表する観光資源、名古屋城である。子供の頃、「おわりなごやはしろでもつ」という言葉の意味がよくわからず、「何かが終わって、名古屋は城で何とか持っているようなものだ」というような意味の、ことわざか何かだと思っていた。後にこれが「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ尾張名古屋は城でもつ」という「伊勢音頭」の一節だと知って、では相当に古くからあるのだろうし音頭の歌詞ならネガティヴな意味ではないだろう、というところまではたどり着いた。  名古屋城はやはり地元の誉れなのだろうなあ、と思ってもみたが、東京の人が東京タワーに登ったことがない、大阪の人が通天閣に登ったことがないと言うように、地元に住んでいれば優先順位が後回しになるものなのだろうか。 広々とした通りを歩いて本丸御殿に向かいます。編集長曰く「しゅー」っと続くこの通り、祭りやイベント開催時には屋台が立ち並びとても賑やかなんですよ。
     さて、美人の広報の方に案内していただきつつ敷地内に入った。その敷地の直線加減に驚いた。すこぶるすっきりとしていて、天気が良かったせいもあるがあまりの清々しさに息を飲んでしまった。戦国時代にできた城だと、攻め込まれないように造りや敷地、通路を複雑にするものではないかと思うのだが、ここはあくまでもしゅーっとしているのだ。もともと台地で西側と北側は水堀や湿った低地、そして南と東は広い空掘で防御していたとかで、平たい場所の立地としては防衛力に優れていたのだろう。

     さて、ここには京都の二条城の二の丸御殿と双璧だったといわれる本丸御殿があった。それが1945年の空襲で焼けてしまい、長年の間蘇生が望まれていたが、2009年から始まって現在も再建中だ。その一部は完成していて、本丸御殿の対面所、下御膳所が6月から公開されている。素晴らしいものだが、なかなかその魅力は言葉では伝えにくい。さぞ苦心されただろうなあ。この計画を実行できるのは、奇跡的に図面などの資料が残されていたからこそだそうだ。

     さて、続いては天守に登ってみよう。ということで、詳しくは次号。ええええーっ!?
    本丸御殿に到着した編集長。まず最初に目に飛び込んでくるのは、立派な唐破風屋根をいただく車寄です。 さっそく桧の香りがプンプン漂う、館内へ。いつになく真剣な(失礼!)表情で見学をする編集長。 玄関一之間北側に復元された障壁画。狩野派の絵師たちが全身全霊を注いで、描いたものです。やっぱり、キンキラキンってステキです!
    期間限定で部屋の中まで入れる表書院。迷わずそこに座る編集長を見て、美人広報さんが思わず感服!「当時の将軍と同じ目線で、鑑賞されていらっしゃるのですね!」。 復元工事中の本丸御殿を囲う壁の前で「今回はこれにて。ドロン!」。よーく見ると、石垣はプリントなんです! スゴイ!!
    松尾貴史
    編集長松尾貴史
    1960年5月11日生まれ。兵庫県神戸市出身。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。俳優、タレント、ナレーター、コラムニスト、“折り顔”作家、カレー店「般°若」店主など幅広い分野で活躍。
    著書にPHP新書「なぜ宇宙人は地球に来ない? 笑う超常現象入門」等多数。
    2016年7~8月、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演。
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