今回は中江さん
中江有里(なかえ・ゆり)
中江さん
寝苦しい季節を迎えますね。夜の空調、いろいろ試していい方法を探したいです。
感情がよみがえる

 たまたまつけていたテレビやラジオから流れてくる音楽に手を止めて、いつのまにか歌を口ずさんでいることがあります。小学校の卒業式にクラスメイトと合唱したおニャン子クラブ、中学二年の時に繰り返し聞いた尾崎豊、高校時代に友だちとハモったプリンセスプリンセス…一瞬にしてあの頃の気分が蘇(よみがえ)ってくる歌の力はすごいです。

歌が自動記憶再生機だとすれば、活字は記憶の塗り絵。思い出という絵に、少しずつ色を塗っていくみたいに思い出す。歌とは違う意味で、過去の時間を振り返る力を持っていると思います。

 <1>カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(新潮文庫・637円)の主人公はアメリカ南部の田舎町に暮らす十二歳の少女。兄の結婚式で自分の人生が変わると夢見る少女のひと夏が描かれます。国も時代も違うけど、かつて十二歳だったわたしの夏に抱いた感情がここにある! 違う自分になりたくて別名を妄想したり、ここではないどこかへ行きたいけど、遠くへ行く勇気はない…。思春期の淡い記憶の色合いがどんどん濃くなってきました。村上春樹さんの新訳です。


<2>遠藤周作『砂の城』(新潮文庫・555円)は十六歳の頃に出会い、何度となく読み返した一冊。主人公の泰子が同じ年だったので、親近感を持って読み始めたのですが、泰子以上に気になったのが友人のトシ。進学、就職と順風満帆の泰子とは対照的に、悪い男にそそのかされて道を踏み外していくトシ。ただ流されるままだったトシがある時から意志を持って流れていきます。初めて読んだ時、トシのことが理解できず怖くなりましたが、いつのまにかトシに同情している自分がいました。彼女の中にある優等生の泰子に負けたくない、という嫉妬心。時を経(へ)て本書を読み返すうちに、このドロドロと濁った感情が自分の内側にもある、とわかりました。

<3>金原ひとみ『持たざる者』(集英社・1,404円)には、東日本大震災後に、妻子を西へ逃そうとする夫が登場します。わたしもあの震災後、何もかも信じられず、しばらく眠れぬ日々を過ごしました。逃げろという夫と、遠くへ行きたくない妻。両方の感情がわたしの中にもあったことを思い返します。何が正しく、何が適切だったかは今もわかりません。徐々にはっきりとしてきたのは、もう二度と同じ思いはしたくないということです。

結婚式のメンバー
『結婚式のメンバー』
カーソン・マッカラーズ
(新潮文庫・637円)
砂の城
『砂の城』
遠藤周作
(新潮文庫・555円)
持たざる者
『持たざる者』
金原ひとみ
(集英社・1,404円)